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六話
「さて・・・・・・こっからが正念場だな」
いくつかの注意事項をジェノスさんに説明しおえると、低く響く声でエドガーおじさんが呟いた。
真剣な、そして何処か気合に満ちた様子。
腕を組んだその姿からは、普段の陽気でおどけた様子が一切感じられない。
レジスはと言うと、右拳を強く握り締めて、普段はタレ気味のゆったりした目元を吊り上げ仁王立ちしている。
気圧されるほどの威圧感だ。
「おう!!」
未だかつて無いほど――いや、去年ぶりの声量でレジスは気合の入った声を上げ、精神を高ぶらせている。
・・・・・・下級魔獣なら逃げ出してしまうのはないだろうか。
もっとも、私は生きた魔獣なんて見たこともないけれど。
というか、毎度のことながら二人とも人が変わりすぎだと思う。
「すごい気合ですね」
「そ、そうですね」
片方は楽しむかのような暢気な声で、もう片方は見慣れていながらも後方へ一歩下がりながらそれに相槌を打つ声。
どっちが私かはご想像にお任せする。
しかしこの人、レジスが言ったとおり空気みたいな人だな。薄いのもそうだけどいつの間にか溶け込んでしまっている。始めの頃は例の違和感が強くここまでなじめるとは思ってもみなかったのに。
まぁ、この違和感というのも原因が不明なのだけれど。たびたび容姿や性別関係なく感じてしまうし、もう9年も付き合っている症状だ。今となれば珍しくともなんとも無い。
・・・・・・それでも、ここまで強いのは初めてだったけどね。
「さて、ジェノス。悪いんだが今日は帰れそうに無い。キーを渡しておくから宿の戸締りを頼むぞ? 正面と裏口だけでかまわん」
ん? どういうことだろう。なぜ彼に戸締りを頼むのだろうか。というか、いつもの調子に戻ってる。レジスのほうも同様に・・・・・・相変わらず切り替えの早い親子だ。
「あ・・・・・・。忙しいのなら手伝いますが? ちょっと離れさせてもらうかもしれませんが」
「いや、それではお前が払った意味がなくなるだろう。ただでさえ本来無かった仕事をさせてしまっているのだからなぁ。申し訳がたたん」
私を置いてどんどん話が進んでいっている。ふとレジスにどういうことかと視線で訴えかけようとしたのだけれど、アイツはすでに仕事モードに切り替わってしまっていた。
・・・・・・役に立たないやつめ。
「えっと、あの、何故ジェノスさんが戸締りを?」
「あぁ、ジェノスは今家の客でなぁ。前金はもらってるし、明日もある。休んでもらおうと思ったのだが」
へ〜、手伝いじゃなくて客なんだ?
・・・・・・。
とりあえず、宿の仕事もしっかりやるべきだと思う。
目の前の人物は除外するとして、何処に宿のマスターキーを客に預ける主人がいるのだろうか。いや、居ようが居まいがほめられたことではないと思う。
それ以前に宿を空にする時点で申し訳は立っていないだろうに。
おかしいでしょう? そして信用しすぎでしょう!
私は、その行為における損害を被っている本人へと微かな哀れみと申し訳ない気持ちを抱きながら視線を送った。
「忙しいのなら手伝いますよ? 何度か抜けさせてもらうことになるとは思いますが」
おーい・・・・・・。
そんな待遇で、不満の様子を微塵も感じさせることもなく手伝いを申し出るジェノスさん。それをずいぶんと遅い段階でおじさんが遠慮の言葉とともに説得に乗り出した。
黙々と作業を続けるレジスに、頭が痛くなってきた私。
ちなみにこの二人の言い合いは十分という攻防の末、エドガーおじさんの勝利に終わる。
業務終了時、部屋を去る際に残念そうに何度も振り返りながら帰るジェノスさんがやけに印象的だった。
レジス・・・・・・あの人は『人が良い』であってると思う。
深夜、私はふと目が覚めた。
普段こんな時間に起きることなんてないのだけれど、すっきりと目が冴えてしまっている。緊張しているのかもしれない。
珍しい。自分で言うのもなんだけどなかなか図太い精神を持っているはずなのに。
などと思いながら、見えない天井を見つめていたら、余計に目が冴えてきてしまった。
この分だとそのまま寝付くことができないだろう。
ん? まてよ? そういえば。
私は月明かりを頼りに扉を開け部屋を出ると、1階へ向かうため階段を目指した。
「こんばんは〜」
「あれ、エリスどうしたの? 親父ならとなりの部屋で仮眠中だよ」
おじさんがいるかもしれないので、しっかりと挨拶しながら厨房に入ると、奥でレジスが鍋の番をしていた。
火がついている鍋は二つ。
この二つの鍋のためにこの時間を割いているのだろう。
「そっか」
返事が返ってくる。この様子だと没頭しない程度に繊細さは無いのだろう。
しかし、それでもレジスは眠たそうに欠伸をしながらも視線は鍋の方へと向かっていた。
二人ががんばっている中、暢気に眠っていたという事実、それを今更ながらに気がついた私は無性に恥ずかしさを覚える。
「ごめんね、無理させちゃって」
そして、無性に申し訳なくなり気がついたら私はレジスに謝罪の言葉を投げかけていた。
するとレジスは私の顔をまじまじと見つめて――
「・・・・・・熱でもあるの?」
コノヤロ!
私の感傷を返せ!
「うっさい、人が気遣ったのに。なにそれ!」
「ごめんごめん。いやだって、急に謝られてもさ。それにこういう仕事なんだから気にしないでよ」
笑うレジスを見てからかわれたことに気がつく。怒ろうかと思ったけど、その笑みはあまりに優しくて、そんな気持ちは打ち消されてしまった。
くっそぅ。
「そうだけどさ」
決まりが悪い、そしてなんか恥ずかしい。
沈黙がものすごく長く感じる。
「ねぇ、エリス」
「な、なに?」
レジスの声が微かに低い。急に一体どうしたのだろう。レジスの声には強い不安が混ざっているのがわかり、私はつい、声がどもらせてしまう。
私の問いにレジスはゆっくりとした声で疑問を口にした。
「なんで、今回は警備を雇ったの?」
なぁんだ、何を言うのかと思ったらそのことか。
それならと父に説明を受けている。私は自身が受けた説明をそのままにレジスに伝えた。
「そうかそうか。それなら良いんだ。そうだよね。今までがおかしかったんだよね」
「そうそう。今まで雇わなかったことがおかしいのよ」
そうなのだ、今まで雇わなかったのがおかしい。いくら平和な国だとはいえここは交易都市。世界各地から様々な人たちが利用し出入りが激しい国なのだ。招待客には貴族の方々も少なくない。万が一であろうと問題があってはいけないのだから。
説明後、納得したような、そして明るい表情で話すレジス。しかし、それはまるで自分に言い聞かせるように聞こえた。
私は急に不安な気持ちが芽生えたが、それを払拭すべく明るい声で肯定する。
でも――それでも、私は胸の突っかかりを取り除きたいが為にレジスに聞いてしまった。
「変に気にしちゃってどうしたの?」
先ほどとは打って変わって明るい顔したレジスが誤魔化すと言うよりは自分の失態を笑うように胸のうちを話した。
それを聞いて私は深く後悔する。後のことを考えれば聞いてよかったのかもしれないけど、レジスの抱いていた不安をそのまま――いや、厄介ごとを背負い込むことは私の本意ではないのだから。
「なんか、嫌な予感がしちゃってさぁ。なんかこう、具体的にはおじさんたちやエリスが危険な目に遭うんじゃないかって――」
もっとも、本人は気づいていないから仕方が無い。伝えようかとも思ったけど、助けられたことも多いし、それにレジスは勝手に見当違いな罪悪感を抱いてしまいそうなやつだから。
でもさ、今回ばかりはやめてほしかったなぁ――
――レジスの勘って外れたこと無いのに。
「そうそうエリス。今更だけど、そんな格好でうろついちゃ駄目だよ」
「う、うっさい!」
寝間着なのを忘れていた。
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